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ティモシー・ハットン / Timothy Hutton:『Q & A』(Movie)

2011/04/19

『レバレッジ〜詐欺師たちの流儀 / Leverage』で、主役の”ネイサン・フォード / Nathan Ford”を演じている”ティモシー・ハットン / Timothy Hutton”が出演している映画『Q & A』(1990)が、”NHK BSプレミアム“で、明日4/20(水)午後1:00~3:13に”字幕版”で放送されます。

実は先週4/13(水)の同じ時間帯(午後1:00~3:08)にも、ハットンさんが主演している映画『タップス / Taps』(1981)が放送されたのですが、コチラへの掲載が間に合いませんでした。
スミマセン・・・m(_ _)m

*bacchusmimiさん情報ありがとうございました!

http://www.nhk.or.jp/bs/t_cinema/calendar.html
On Air 11/04/20(水)13:00~15:13

社会派監督、シドニー・ルメット(1924-2011)*が警察内部と司法機関の腐敗を描いたサスペンス・ドラマ。新米の地方検事補アルは、初仕事としてベテラン警部ブレナンが起こした正当防衛による射殺事件を担当、ブレナンに対する尋問調書(Q&A)の作成に取り掛かるが、次第に彼の証言に疑いを抱き始め、やがてその疑いは驚がくの事実へと発展する。ティモシー・ハットンとニック・ノルティというクセのある役者陣による迫真の演技合戦が見もの。

〔製作〕アーノン・ミルチャン、バート・ハリス
〔監督・脚本〕シドニー・ルメット
〔原作〕エドウィン・トレス
〔撮影〕アンジェイ・バートコウィアク
〔音楽〕ルーベン・ブラデス
〔出演〕ニック・ノルティ、ティモシー・ハットン、アーマンド・アサンテ ほか
英語/字幕スーパー/カラー/レターボックス・サイズ〕

(from NHK BSオンライン 映画カレンダー)

補足として、Wikipedia(日本語版)によると、

『Q&A』(原題:Q&A)は、エドウィン・トレスの1977年の同名小説を映画化した1990年のアメリカ映画。
公開翌年の1991年に発売されたビデオ(VHS)では『殺人調書 Q&A』、その後に発売されたDVDでは『Q&A〜殺人調書〜』のタイトルが付けられている。

(from Wikipedia(日本語版))

ハットンさん、30歳の時の作品になります。
当たり前ですが、若いです★
*画像はそれぞれクリックすると、オリジナルサイズで表示されます。
*別ウィンドウorタブでは開かないので、画像を表示した後はブラウザの「戻る」ボタンで戻って下さい。


Photo by Odyssey Distributors – (c)1990

*先日亡くなった(4/9没)、監督の”シドニー・ルメット / Sidney Lumet”について、少々補足を・・・

シドニー・ルメットは1924年6月25日にペンシルベニア州のフィラデルフィアで生まれた。彼の両親はポーランド系ユダヤ人で、イディッシュ劇場の演劇人だった。幼少の頃一家でニューヨークに移り住み、以後そこを拠点にすることになる。

ルメットは4歳で子役としてラジオドラマに出演。5歳でイディッシュ芸術劇場の舞台を踏み、10代から子役としてブロードウェイの舞台に立った。1939年には映画にも出演している。1942年にコロンビア大学に入学するが、同時に陸軍に入隊し第二次世界大戦に従軍した。終戦後はオフ・ブロードウェイでイーライ・ウォラックやユル・ブリンナーたちと俳優グループを結成。このグループはのちにアクターズ・スタジオの母胎となったという。
俳優活動に飽きたらなくなったルメットは、1950年代に演出家に転向する。CBSで黎明期のテレビドラマの制作に手腕を発揮し、売れっ子演出家となった。この頃のルメットは5年間に約500本の作品を演出したという。テレビ局を辞めたあと、1957年に初の劇場映画『十二人の怒れる男』の監督を務める。ルメットはこの作品でベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞、一躍人気監督の仲間入りを果たす。テレビ演出家から転じた映画監督としては草分けであり、同時に非ハリウッド系の映画勢力であるニューヨーク派の旗手としての活躍が始まる。

1960年代のルメットは『夜への長い旅路』(1962年)や『質屋』(1964年)など、主に文芸作品の映画化で力を発揮した。『未知への飛行』(1964年)は冷戦時代に於ける核戦争の危機の本質を鋭く描いた作品である。1970年代には『セルピコ』(1973年)、『オリエント急行殺人事件』(1974年)、『狼たちの午後』(1975年)、『ネットワーク』(1976年)と次々に話題作を発表、名実共にアメリカ映画界を代表する巨匠となる。

ルメットは1980年代も精力的に映画を製作するが、1990年代においてはやや精彩を欠いた。特に『グロリア』(1999年)は主演女優のシャロン・ストーンがゴールデンラズベリー賞にノミネートされるなど駄作の烙印を押され、ルメット自身も終わった監督だと見なされる。しかし、最後の作品となったの『その土曜日、7時58分』(2007年)では往年の緊張感溢れる演出が復活、批評家たちからも傑作と評価されルメット健在を印象付けた。
ルメットはアカデミー監督賞に4度、英国アカデミー賞監督賞に3度、カンヌ国際映画祭パルム・ドールに4度ノミネートされたが、いずれも受賞には至らなかった。しかし2005年にはその生涯における業績を評価され、アカデミー名誉賞を贈られた。
2011年4月9日、リンパ腫のためニューヨークの自宅で死去。86歳没。

(from Wikipedia(日本語版))

遺作となった『その土曜日、7時58分 / Before the Devil Knows You’re Dead』(2007)について、管理人の大好きなラジオ番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(TBSラジオ・土曜21:30〜24:30)内の人気・名物コーナー「ザ・シネマハスラー」にて、宇多丸さんが評論した音源がありますので、よかったらお聴き下さいませ。
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20081129_hustler_1.mp3
(「ザ・シネマハスラー」2008年全映画ランキング6位)

書籍化された『ザ・シネマハスラー』第一弾にも収録されています。

また、『質屋 / The Pawnbroker 』(1964)に関しては、映画評論家の町山智浩さんの近著『トラウマ映画館』に詳しく書かれています。

一部を抜粋します。

『質屋』は、アメリカ映画にとって初めてユダヤ人虐殺をテーマにした作品だ。

『質屋』の原作であるエドワード・ルイス・ワラントの同名小説にはこんなセリフがある。
「ハリウッドは金にしか興味がない。奴らはヨーロッパに学ぶべきだ。」
ハリウッドは『質屋』を映画化しなかった。企画はパラマウント、MGM、ユナイテッド・アーティストとたらい回しにされた挙げ句、ハリウッドの外でインディペンデント映画としてやっと完成した。当時ハリウッドの映画会社の職員はほとんどユダヤ系に占められていたが、ホロコーストを映画にしようとしなかった。
ワーナー映画の経営者ジャック・ワーナーは、ハリウッドで最初にユダヤ人の現実を描いた『ジャズ・シンガー』(27年)を製作したように勇気ある映画人だったが、戦後ヨーロッパを訪れてホロコーストの実態をその目で見た後、ユダヤ問題に関して沈黙した。それほどまでにホロコーストは恐怖だったのだ。

自らの民族に対して、これほど厳しい物語が他にあるだろうか。ユダヤ系はハリウッドで善意が差別に打ち勝つ映画を量産して世界を啓蒙してきたが、『質屋』は彼らの絶望を反映した映画だ。

町山智浩著「トラウマ映画館」(集英社)より

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